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青葉区データ

線路が先、町名はあと
田園都市線開通60年

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2026年10月4日取材・文 横浜青葉チャンネル編集部

1966年4月1日、田園都市線の溝の口〜長津田間が開業しました。いま青葉区にある駅のうち、たまプラーザ、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈の6駅はこの日に開いています。そのとき、駅の周りに「青葉台」や「藤が丘」という町はまだありませんでした。町名ができたのは、駅より後です。駅と町名ができた順番を、年表に並べてみました。

この記事のポイント

01

6駅が同じ日に開いた

1966年4月1日、たまプラーザ、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈の6駅が同時に開業しました。当時は港北区で、1969年からは緑区、1994年に青葉区。駅は同じ場所のまま、区が2回変わっています。

02

「青葉台」は駅の翌年にできた

青葉台駅の開業は1966年4月、町名の青葉台は1967年5月。藤が丘も駅が先で、町名は同じ年の11月です。駅の名前が、のちに町の名前になりました。

03

あざみ野だけは、町名が先

あざみ野は1976年に町名ができ、駅は翌1977年。区内の主な駅で、町名が駅より先にできたのはあざみ野だけです。

駅ができ、町名が付き、人が住んだ

60年前の4月1日

1966年4月1日、東急田園都市線の溝の口〜長津田間が開業しました。それまでの田園都市線は、大井町から溝の口までの路線でした(1963年に大井町線から名前を変えたばかりでした)。この日、溝の口から一気に長津田まで線路がのびています。

いまの青葉区にある駅のうち、たまプラーザ、江田、市が尾、藤が丘、青葉台、田奈の6駅がこの日に開きました。区内の駅のほとんどが、同じ日に生まれたことになります。

そのころ、このあたりは「横浜市港北区」でした。駅の開業で沿線の人口が急に増え、3年後の1969年10月1日、港北区の西部が分かれて「緑区」になります。いまの青葉区の駅はすべて、ここから25年間は緑区の駅でした。青葉区ができるのは1994年11月6日。港北区と緑区が組み直されて、青葉区と都筑区が生まれました。

駅ができたとき、「青葉台」という町はなかった

開業の日、青葉台駅の周りに「青葉台」という町はありませんでした。あったのは「港北区恩田町」です。

町名の青葉台ができたのは、翌年の1967年5月5日。恩田町の一部が、土地区画整理に合わせて新しく「港北区青葉台」になりました。駅の名前が、あとから町の名前になったわけです。その2年後には区が変わって「緑区青葉台」に、1994年に「青葉区青葉台」になっています。同じ場所に住んでいても、住所は3回変わったことになります。

藤が丘も同じです。駅の開業が1966年4月、町名の藤が丘ができたのは同じ年の11月6日。もとは下谷本町や恩田町などの一部でした。

美しが丘は1969年、桜台やしらとり台は1967年。たまプラーザ駅の周りの美しが丘も、駅より3年遅れて町名ができています。線路が先にのびて、その周りに町が区切られ、名前が付いていきました。

例外が2つある

並べてみると、順番が逆のものが2つありました。

ひとつは、つつじが丘です。町名ができたのは1964年3月31日で、駅の開業より2年早い。恩田町の一部が、田園都市線の開業を待たずに区画整理を終えていました。

もうひとつは、あざみ野です。町名は1976年1月15日、駅の開業は1977年5月25日。地名の記事で書いたとおり、「あざみ野」は地元の要望で付いた町名で、駅はその町名をそのまま名乗っています。区内の主な駅で、町名が駅より先にあったのは、あざみ野だけです。

開業した日に、もう4万7千人が住んでいた

線路ができてから人が来た、と思われがちですが、実際は少し違います。

多摩田園都市の開発をまとめた記録によると、1966年の開業の時点で、川崎市側も含めた沿線の人口はすでに約4万7千人に達していました。駅ができる前は、路線バスで東横線や横浜線、小田急線の駅まで出ていたとされています。

開業と同時に、初期の区画整理が相次いで終わり、入居が本格的に始まります。青葉区の人口は、区ができた翌年の1995年の国勢調査で約24万9千人、2015年には約31万人になっています。

1969年に緑区が分かれたのも、田園都市線の開通で沿線の人口が急に増え、行政の不均衡を解消する必要が出たためだと、港北区の歴史をまとめた資料に記されています。1939年に港北区ができたときの人口は5万人あまり。それが30年で、区を分けなければならないほど増えていました。線路が、区の形まで変えたことになります。

いちばん新しい駅が、いちばん多い

最後に、いまの数字を見てみます。

区内で乗降人員がいちばん多いのは、あざみ野駅の1日12万498人です。開業は1977年で、6駅より11年遅れた「あとから来た駅」でした。1993年に横浜市営地下鉄ブルーラインがここまで延び、乗り換え駅になったことが大きいと考えられます。

2番目は青葉台駅の10万99人、3番目がたまプラーザ駅の8万825人。いちばん少ないのは、2000年にこどもの国線の通勤線化に合わせて開業した恩田駅で、1日1,012人です。

60年前の4月1日に開いた6駅に、あとから3駅が加わって、いまの青葉区の駅になっています。

11月27日に講演会があります

開業60周年を記念して、11月27日(金)に青葉公会堂で講演会「鉄道からみた横浜市北部の発展の歴史」が開かれます。主催は「青葉のあゆみ 歴史の会」。参加費600円、定員80人で、申し込みは10月31日までです。詳しくは記事下のリンクからどうぞ。

青葉区の駅:開業した日と、いまの乗降人員

開業年月日と、2025年度の1日平均乗降人員(東急電鉄)。
駅開業乗降人員
たまプラーザ1966年4月1日80,825人
江田1966年4月1日32,331人
市が尾1966年4月1日39,425人
藤が丘1966年4月1日25,968人
青葉台1966年4月1日100,099人
田奈1966年4月1日9,652人
こどもの国(こどもの国線)1967年4月28日10,326人
あざみ野1977年5月25日120,498人
恩田(こどもの国線)2000年3月29日1,012人

町名ができた日と、もとの地名

開発に合わせて付けられた主な町名。複数の丁目があるものは最初に設置された日です。
町名できた日もとの地名(その一部)
つつじが丘1964年3月31日恩田町
1966年4月1日 田園都市線 溝の口〜長津田間 開業
藤が丘1966年11月6日下谷本町・上谷本町・西八朔町・北八朔町・恩田町
梅が丘1966年11月6日西八朔町・北八朔町
青葉台1967年5月5日恩田町
桜台1967年5月5日恩田町・成合町
しらとり台1967年11月16日恩田町
美しが丘1969年1月15日元石川町
みたけ台1975年9月28日上谷本町
あざみ野1976年1月15日元石川町・大場町・美しが丘
1977年5月25日 あざみ野駅 開業
荏田北1978年4月29日荏田町
新石川1979年2月18日元石川町

この記事のデータについて

溝の口〜長津田間の開業
1966年4月1日(当時は港北区)
区の移り変わり
港北区(1939年〜)→緑区(1969年10月1日〜)→青葉区(1994年11月6日〜)
同じ日に開いた区内の駅
たまプラーザ・江田・市が尾・藤が丘・青葉台・田奈の6駅
あとから開いた駅
こどもの国(1967年)・あざみ野(1977年)・恩田(2000年)
駅より先にできた町名
つつじが丘(1964年3月)
乗降人員の出典
東急電鉄 2025年度 1日平均
写真
ヘッダー・サムネイルは生成AIで作成したイメージ(当時の実写ではありません)
駅の開業年月日は東急電鉄の公表と百科事典の記載に、町名ができた年月日は横浜市の町名整理の記録(百科事典の各町の項目に掲載された「町名の変遷」)に拠ります。区の移り変わりは横浜市「区の変遷」に、緑区の分区の経緯は大倉精神文化研究所「むかし、むかし、港北区は…」に拠ります。乗降人員は東急電鉄が公表している2025年度の1日平均です。町名は丁目ごとに設置日が違うものがあり、ここでは最初に設置された日を載せています。1966年の開業時点で沿線(川崎市側を含む)の人口が約4万7千人に達していたことは、多摩田園都市の開発に関する百科事典の記載(東急の資料を出典とするもの)に拠ります。ヘッダーとサムネイルの写真は、1960年代の造成地の雰囲気を生成AIで作ったイメージで、実際の当時の写真ではありません。開業60周年を記念した講演会「鉄道からみた横浜市北部の発展の歴史」は、2026年11月27日に青葉公会堂で開かれます(申し込みは10月31日まで)。

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